敗戦の日
61年前の今日、大日本帝国は連合国に無条件降伏をした。
何を持って国とするか?
土地でないことは確かである。ヨーロッパの歴史を見ればそれは一目瞭然で、同じ土地で異なる民族が異なる国を営んでいた。
民族でないことも確かである。中国の歴史を見れば、同じ漢民族が歴史上何度も異なる国を作ってきた。
では何か?
主権者が同じかどうか?それだけが国の連続性を示すものだと思う。
大日本帝国憲法、第一条には「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と書かれており、主権は天皇にある。
日本国憲法、第一条には「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」と書かれている。
つまり、主権者の異なる大日本帝国と日本国は異なる国なのである。
これは紛れも無い事実である。
大日本帝国はその憲法が失効した時点で消滅し、日本国という新たな国が同じ土地、同じ民族によって作られたのである。
にもかかわらず、日本国は大日本帝国という別の国が犯した罪を未だに償っているのである。
これは、親が犯した罪を子供が償っているのと同じことである。
子供が親の罪を償うことは、儒教に基づく倫理的にはありえるだろう。人道的にも良かろう。だけど、それは義務ではない。
つまり、こちらの善意で行っていることであって、行えばそれは結構なことだが、行わなくても非難される謂れの無いことだと思う。
にもかかわらず、未だに謝罪を求められるのは何故なのだろうか?*1
国際法上、大日本帝国と日本国は同じ国なのだろうか?
もしも、そうであるならば、それはいかなる理由に基づいているのだろうか?
もしも、違う国であるならば、何故日本国はそれを論理的基盤として使わないのだろうか?*2
敗戦の日にちなんで、日ごろ思うことを。opilioが無知ゆえの未熟な考察なのだろうとは思うけど、法学的にはどうなのかなぁ?