研究と教育

opilioはまだ授業を一つしか持っておらず、且つその授業も一般教養に属する授業のため、専門性は全く無い物です。
後期には専門の授業も一つ始まるので、まだよく分からないのですが、今のところ授業は義務以外の何者でもありません。

もちろん、学生さんと触れ合うのは楽しいですし、価値がないとまでは言いませんが費用対効果を考えれば、その時間研究していたいって言うのが本音です。

そのうえ、opilioは今の職場で一生を終える気は毛頭無く、数年以内に違う職へステップアップをしていくつもりでいます。
その際に必要なのは研究業績であって、教育実績ではありません。ほぼ、全く教育をしたという経験は見てくれないでしょう。

アメリカの大学の場合教育専門の教授というポストがありまして、そういう方は授業へのエフォートがほぼ100%となっています。日本の大学でその仕組みをすぐに取り入れろとまでは言いませんが、そういった職を作る仕組みづくりくらいはそろそろ考えるべきなのかもしれません。


ただ・・・日本の私立大学の場合研究と教育だけでなく、教職員が広報や営業まで担当しなくてはならなくなってきており、仕事は増える一方で減る気配はありません。

せめて学生:教職員の比率が私立小学校程度くらいにまでなってくれたら、もう少し楽になると思うのですけどね。

例えば
http://www.youkyou.com/htmls/topics/2006_sigaku.html
このように、きちんと数えていないのですがざっとみた感じで私立小学校は教職員:学生は1:10強くらいです。教職員数が少ないところでも1:20に行っている所は少ないです。つまり、単純に考えますと一人の先生が十数人の面倒を見れば良いと言うことになります。
それに対してopilioの大学の場合、教職員:学生は1:30くらいです。私立小学校の倍以上です。これで細やかな教育が出来るのか?といいますと、人数比だけではありませんが、まずできません。

小学校では教職員に対する生徒数を減らし、肌理細やかな授業を行おうという方針に進んでいるような気がいたしますが、大学に関しては逆方向に進んでいるような気がいたします。
教育の最後の出口部分でこれでは、問題が大きいと思いますし、納得もいかないのですけどね。
政府には教育・研究もともかく、絶対的な大学教員数を小学校と同程度までには増やせるような枠作りをして頂きたいと思います。