血液型性格判断

最初にopilioは血液型性格判断が少なくとも今の時点で科学的に妥当な方法だとは毛頭思っていない。

だけど、血液型性格判断を信じている人に、それが科学的に妥当でないからと言って「間違ってるっ!」と言うことが正しいとも思わない。

そもそも、信じたい人は信じたいから信じるわけで、それが科学的に正しかろうが、間違っていようとそんなものには関心が無い。

信じたい対象を指示する内容だけを選択的に見ようという欲求にしたがって動いているわけだから、それを科学云々で止めようというのであるならば、それは手法が間違っている。
どちらかと言うと血液型性格判断くらいシンプルで且つ害の少ない方法を別に提供してやるほうが効果的だと思う。

そもそも、科学とは厳密には「ある仮説がどれくらい確からしいか?」にしか答えることはできず、「何かが真実である」とか「何かが間違っている」とか「何と何かの起因関係を証明する」といったことは、特殊ケース以外不可能である。そのため本質的には「ある仮説が間違っていることを証明すること」は、科学の範疇ではない*1
科学はその冗長性を許した手法を採用しているからこそ、仮説をより確からしく、真実に近づけていける手法だとopilioは思っている*2

opilioは今発見されている手法の中では科学が真実に近づくのに一番ましな手法だとおもっているから科学者になっている。
だけど、それだけが真実に近づく方法であると思わない冗長性は科学者だからこそ持っている。
例えばもしかしたら宗教が真実に最短距離で近づいているのかもしれない。
それを例えopilioが採用しなかったとしても、採用する他人をそれでもって非難する気も無い。
その人がその道を選んだ理由は様々にあるだろうし、異なる仮説の存在は科学的にも望むところであるのだから。

血液型性格判断に話を戻すと、あれは科学的に起因関係は見られていない・・・・と言うのが現状だと思う。だけど、それを「科学的に間違っていると証明された」と言うのは、「統計的に有為な差が出なかったから、差が無いことが証明された」と言うのと同様なくらいには乱暴な言い方で、科学的でないと思う。

(追記)
もちろん、血液型性格判断が「科学的に正しい」と主張する疑似科学には断固反論するべきだとも思う。

*1:最低限統計手法を用いる全ての研究はその仮定を内包している。もちろん、厳密にはそうであるだけで、便宜的に起因関係を証明されたとして話を進めることはある。

*2:冗長性が無ければ、新たな仮説がより確からしくても受け入れることができなくなるため