総まとめとしての試験

ここのところ、様々な締め切りに追われてあまりblogも書けなかった。
そのうちの一つが試験問題作成なのだけど、前期講義の締め括りとしてできるだけきちんと勉強した人とそうでない人の差が出る問題を作ろうと頭を悩ませた。

これは、逆に言うとものすごく怖い内容でもあると思う。

いかに学生達の心を掴み、opilioの講義の勉強する気にさせたか?また、勉強すれば理解できるような講義をしてきたか?それが問われることにもなるからだ。

今、授業評価が様々な形でなされているが、授業評価なんて試験の問題と結果を見比べたら、簡単にできると思う。
試験の結果が不自然に偏っている講義は、大抵何らかの問題を含んでいると思う。
講義の内容が高すぎたり低すぎたり、試験の内容が高すぎたり低すぎたりしていることを現しているのだと思う。
講義の内容が高すぎた場合、それは仕方が無い場合もある。どうしてもこういった講義にはこの内容を入れなくてはならない、という場合、それに対応できない学生ばかりが受講するのはその講義一つの問題というよりも、カリキュラム全体の問題が絡んでいることが多いからだ。
しかし、講義の内容が低すぎる場合は、単なる教官の怠慢だと思う。

opilioは講義とは8割の学生が勉強すれば8割理解できる内容にし、上位1割の学生が2割の内容を楽しめ、下位1割の学生が勉強すれば6割理解できるという状態が、学生に対するサービス業としての講義の成功形だと思う。
当然全ての学生が勉強するわけではないので、これを目標にすると実質は6割の学生が6割以上理解できる内容・・・・・くらいが関の山になる。
でも、それくらいの厳しさで知識の壁を引き上げるのが高等教育の役目だと思うし、それが大学教官の責務だと思う。


当然このような講義をしようと思うと、学生ももちろん教官も大変である。
毎回毎回フィードバック管理のように学生の理解度を把握し、速度や内容を調整し、ぎりぎりのレベルを常に維持できるように変更を加え続けて講義しなくてはならない。

それがうまく言ったかどうかが分かるのが試験結果だと思う。
試験結果の点数がうまく80点くらいを最頻値に6割以上が60点を越すようになっていれば、今回の講義は成功だったとopilioは思う。